2021-06-09 第204回国会 参議院 本会議 第29号
今の官邸は、言わば、牟田口中将の必勝の信念に対し、補佐すべき幕僚はもはや何を言っても無理だというムードに包まれてしまったという、あのインパール作戦の状況とうり二つという声もあります。 事実、おとといの決算委員会で、水岡会長がオリンピックを中止する選択肢はあるかと再三再四質問したにもかかわらず、総理は訳の分からない主張を繰り返すばかりでした。
今の官邸は、言わば、牟田口中将の必勝の信念に対し、補佐すべき幕僚はもはや何を言っても無理だというムードに包まれてしまったという、あのインパール作戦の状況とうり二つという声もあります。 事実、おとといの決算委員会で、水岡会長がオリンピックを中止する選択肢はあるかと再三再四質問したにもかかわらず、総理は訳の分からない主張を繰り返すばかりでした。
何にももう国民は知る必要がない、大丈夫だ、何とかすると、最後の最後に、インパール作戦みたいに最後行き着くところまで行っちゃってぼんじゃ、国民かわいそうですよ、余りにも。大本営発表じゃないんですから、やっぱりきちんと情報は出すべきだと思うんですが、それでもシミュレーション結果を出す気はありませんでしょうか。
私が広島大学の先生をしていたときに、女性のゼミ生の一人が、自分のお父さんは、インパール作戦で部隊の中のたくさんの人が死んだのに生きて帰ってきた、なぜ父は生きて帰れたのかということを卒論に書きたいと大変変わった提案をしたので、それはぜひやりなさいと。お父さんから話を聞くだけじゃなくて、防衛庁戦史室の資料とあわせて、なかなかいい論文を書いている。中国新聞でそれが記事になったほどだったですね。
○藤巻健史君 そろそろ異次元の量的緩和が間違えていたと認められて、もうインパール作戦やめて、それはもう責任が、これ大変ですよ、やめると、今。物すごいショックがありますけど、更に進めるととんでもない大被害になるんじゃないかと思う。どんどんどんどん被害を大きくしているわけですよ。これ、やめれば被害が起こるのはもちろんですから、やめるの大変ですよ。
今回、最近は何かミャンマーも、インパール作戦等のそういった御遺骨の返還についてもいろいろ協議を加速化しているとも話は聞いておりますので、是非そういったこともやってもらいたいと思いますが。 今日、厚労省に来てもらっていますけれども、現在の遺骨の収集状況、これ簡潔にお答えください。
去年の夏ですと、七三一部隊を扱ったもの、それから例のインパール作戦ですね、戦慄の記憶だったですかね、サブタイトル、これ本当に深く感動いたしました。あの戦争がいかにひどい戦争だったかというのがよく分かって、前線の兵士たちの思いというのもよく分かりました。 そういう一方で、やっぱりがっかりさせられることも多いんですよね。
私は、これはもう本当にインパール作戦で、絶対もう撤退できない、どんどんどんどん奥へ行っちゃうような、補給線が延びていくような気がしているんですけれども、大丈夫なのか、お教えいただきたいと思います。
実際に一九四四年にはチャンドラ・ボースが義勇軍を組織して、日本軍と一緒にインパール作戦というのをやって、たしかあれはビルマで英国と戦っているわけでございますね。
これはインパール作戦と同じです。どんどんどんどん奥へ奥へ行って、補給線なくて、もうみんな全滅しちゃうんですよね。これは、ある程度、撤退すべきときは撤退し、悪いときはきちんと悪いということを言わなくちゃいけないので、それをアジテーションと言われたら困っちゃうんですけどね、まあ、それはいいとして。
そして、第二次世界大戦を見れば、あらゆる、インパール作戦、レイテ沖海戦、マリアナ沖海戦、マレー沖海戦等々の主要な戦いは全て、補給路または航空中継基地をめぐる戦いであったということであります。
一つは、名著とも言われる「失敗の本質」でも取り上げられたインパール作戦、これをひとり強行し、三万人を超える将兵を餓死させたにもかかわらず、責任を回避し続けた牟田口廉也陸軍中将です。もう一つは、真珠湾攻撃の際、在米日本大使館の怠慢で宣戦布告が一時間おくれたことにより、日本人に、だまし討ちをした卑劣な民族との烙印が押されました。
ミャンマーは、皆さん御承知のように、ここの最大の問題はインパール作戦。これは史上最悪の作戦と言われているわけですが、当時の第一五軍司令官の牟田口廉也という人は、大本営に執拗に、インドに向かって進軍しようということで、三個師団、その師団長はみんな反対したんです、参謀も反対したんです。
特に、アッツ島は玉砕、それからミャンマーはインパール作戦という史上最悪の作戦というようなことで、六十八年たっていますけれども、問題は、こういう総括をやはりちゃんとやっていないことなんですね。日本の国の手で、戦争に至る経過はどうだったのかとか、沖縄戦の前に戦争をやめることはできなかったのかとか、いろいろな点、やはりしっかり我々は向き合っていかないといけないと思うんですね。
これを改めれなかったら、本当に制度全体が玉砕するしかなくなっていって、いや、よく友達と話すときに、インパール作戦って知ってるかという話をするんですけど、大本営発表のとおりに牟田口中将が行けと、三個師団に命令出して十万人近くの日本兵がほぼ玉砕に近い状態になるんですけど、現場ではもうこれは無理だという声が何回も何回も上がっているけど、結局大本営には伝わらなかったと。
それから、私はインパール作戦に参加をされた方と日本の兵士の交流をして、日章旗を届けられたことがあります、そのイギリス人の兵士から。そういういい交流があるんです。
それは、その中でやるんですというのは、かつての帝国陸軍のインパール作戦なんかと同じような、精神論でやれば何とかなるということでしかないと思うんですね。 そういう目標を掲げるならば、一体全体、何人の人数が必要なのか、どれぐらいのリソースが必要なのか、きちっと見積もった上で、どこが足らないのか、どこは十分なのか、そういう判断がなければ、何事も精神論で終わってしまう。
党の部会で、インパール作戦に似ているという話が出ました。要するに、食糧は行った先で調達するんだよ。じり貧です。あのときもビルマ戦線はじり貧だった。じり貧を突破するには打って出る、打って出た先で食糧を調達する。惨たんたる結果、八万人が戦死をいたしました。 このインパール作戦に似ているんじゃないんですか、郵貯銀行というのは。出たとこ勝負でしょう、本当に成り立つんですか。
御承知のように、インパール作戦のときに、三十万、戦線に参加している。そして、十八万、亡くなって、十二万、日本の兵隊が生きて帰国した。ただ、その中で、「ビルマの竪琴」の映画にあるように、イギリス軍から日本兵をかくまってくれたり、いろいろな状況の中で、日本に対してはすごい親日的な国家でございまして、今でも、行くと、日本は大好きだ、日本と深い交流をやりたい、こういう話を至るところで聞くわけですね。
私も兄をインパール作戦で亡くしまして、やはりあの御遺骨のところへ行きますとそういったことを思いますから、それはやはりそうだろうというふうに思いますが、それが可能かどうかということまで私もちょっと相談をしておりませんしいたしますので、そうしたことを御遺族の皆さん方にもお立ち会いをいただいて、そして処理をさせていただく、処理をするという言葉は適当ではございませんが、焼骨をさせていただくということが可能ならば
昭和十九年のインド・インパール作戦の展開を経て、昭和二十年の終戦を迎えるに至ったのはその最後の局面であったと思っております。 戦後の日本においても国家安全保障の基本原則が確立していないのは、戦前の反省が生かされていないと言われてもいたし方ないと思います。あえて言えば、昭和三十二年閣議決定された国防の基本方針、四原則というのがあります。
参議院での御質疑の中でも、坂口厚生労働大臣のお兄様がインパール方面、インパール作戦のときにお亡くなりあそばしたという御答弁もございましたけれども、やはり皆遺族は高齢化してまいっております。今、私も援護局の方に何度も追い打ちをかけるように聞きましたが、やはり本当に早い対応をしていかないと、遺族すら亡くなられてしまう。